死にたい方の【 L i f e 委員会 】| 公式ブログ

死にたい「人生」を逆転させる手順を研究している
Life委員会の公式ブログです。

 

「死にたい」人生を逆転させる手順を、頑張って考えております。

自由な「自己表現」に、人は純粋な幸せを感じる

(*この記事は「mixi日記」からの転載です)

何週間か、ブログの更新をまともにできなかった。
なぜブログの更新が出来ないでいたかを客観的に考えてみた。

原因は「自由な自己表現が抑制されていたから」だろう。

人間であれば誰しも、自己表現に喜びを感じる。

絵を書いて自分を表現する人もいる。
作詞作曲によって自己表現する人も、
映画を作ったり、小説を書いたり、歌ったりして
自己表現をする人もいる。

いずれにせよ、自分の内面を
外の世界に投射する事に人間は喜びを感じるようだ。

私にとってブログ記事の執筆も、
間違いなく喜ばしい自己表現であった。

そしてそれは
「楽しい」はずだった。

しかし、その楽しいはずの執筆活動に
楽しみを見いだせなくなったとき
私のキーボードは「音」を失った。w

初めは戸惑った。
「なぜ、筆がすすまないんだろう」
自分の気持ちが分からなかった。

しかし今は分かる。
そして、理由も分かっている。


人間は「抑制された」自己表現には、
喜びを見いだせない。

これが、ブログ更新が滞った理由だろう。

「抑制された」自己表現のどこに喜びの要素があるのか?
自己表現は「自由」になされるべきである。
自由になされて喜べる。

いかなる自己表現であっても、
それが「抑制」された瞬間、
それは自己表現ではなくなり、人はそれに喜びを感じない。

では、
私のブログ執筆の何が「抑制」であったのだろうか?

わたしは、
自分で自分自身を抑制していたのだ。

つまり、なまじブログが発展してくると、
変なプライドも出てくるようで、それが問題だった。w


「もっと質の高い記事をかかないと」
「もっと分かりやすく、説得力のある記事をかかないと」


明らかに、
抑制された自己表現だ。w
自分で、自分のクビを締めている。


抑制された自己表現は
「自己表現」ではなくなるのだ。

そして人は、
自分を自由に表現できない環境を嫌う。


喜びに満ちた生活を送るためには
自由に自分を表現できる環境が必要である。


楽しみたいのであれば
何も考えずに、純粋に自己の表現に没頭する必要がある。

絵を描くのもよい、作詞作曲もよい、
カラオケもよいだろう。


自己表現をするとき、人は真に自由であるべきだ。
そして自由な自己表現をするとき、人は純粋な幸せを感じる。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。